2050年の成田

空港圏未来予想図by佐藤ひとし

閑話休題2 すべての道はローマに通ず

ローマ街道の凄み

 交通インフラの重要性を最初に気づいたのは古代ローマ人だそうです。愛読書「ローマ人の物語」(塩野七生著、新潮社)によれば、敷石などで舗装されたローマ街道は、主要都市を結ぶ当時の高速道路です。道幅4メートル。両脇に幅3メートルの歩道があります。軍団兵が迅速に行軍することで安全保障を実現し、荷馬車や人が盛んに行きかって経済的な発展を保証しました。それが史上最も長命な帝国のいしずえになりました。

 

 アッピア街道など造成者の家名を冠した街道もたくさんあります。大規模公共事業ですから経済効果が大きい。人気とりになるし、家名のついた街道は子々孫々までに伝わる名誉でした。市民レベルでインフラの重要性が共有されていたのです。同じころ、中国では長城が築かれました。これも大規模公共事業ですが、ローマ街道網の社会的な貢献にはとてもかないません。歴史的な凄みが違います。

 

 成田も交通インフラで発達した街です。江戸の水害を防ぐために、徳川家康の命令で江戸湾にそそいでいた利根川が銚子へと流れを変えたのが18世紀初頭。利根川水運によって佐原は東北との物流拠点になりました。成田山新勝寺も、利根川水運や船橋街道からの参詣ができるようになり、中興の時代を迎えました。明治時代にはいちはやく国有鉄道が開通します。鉄道で参詣客を運び、沿線を開発するのは関西風の手法です。私鉄の京成電鉄もすぐに開通しました。「京成」って東京-成田のことです。

 

 そして50年前に成田空港ができることになり、国際線が来るというので、高速道路や鉄道が整備されました。それがいまの成田を支えています。圏央道が大栄まで開通したことで、北関東や東北へのアクセスが改善されました。2024年には圏央道がさらに南下、西進して全面開通します。アクアライン経由で羽田と結ばれます。交通インフラからみると、成田は格別に恵まれた地方都市なのです。

 

 その中核は、いうまでもなく成田空港です。第3滑走路は、多古町横芝光町といった空港東部・南部にとって、大きなチャンスです。